こんにちは、こけしです。
最近SNSを見ていると、
男って結局はあざとくボディータッチしたりする女や媚びて自分のことを立ててくれる癒し系女子が好きなんよ
という意見をよく目にします。
確かに上記のような女性は男性をコロッと恋に落とすことができるし、
それはそれで強い武器だし、
そういうものを持っている女性は素晴らしい長所を持っているなと思います。
一方で、上記の言葉が男性の理想とする女性像を完璧に表しているかと言うと、
別にそうじゃなくても幸せなパートナーを手に入れて結婚している女性がいたり、
そういう女性なのに何故かダメ男に捕まっていたり結婚できていなかったり、
現実と比較するとどこか違和感を感じませんでしょうか。
今回は、男性が考える”いい女”の本質の部分に探りを入れていこうと思います。
・女性の思う男ウケと男性の思う”いい女”の違いがわかる
・”媚び”と”おもてなし”の違いがわかる
・結局女の言う”男ウケ”も男の言う”いい女”ってやつもくだらんなぁと、ある程度割り切れる
女性が考える”男ウケする女性”と男性が思う”いい女”の食い違い
最近は”あざとい”のブームもあり、
男性ウケについてより堂々と女性が話せる世の中になったなと思います。
一方で、男性側の正直な意見として聞くのが、
いや、百間違ってるわけではないんだけど、でもなんだろ、こういう女と結婚したいかと言われると…
という、女性発信の”あざとさ”への違和感。
確かに男性は女性のあざとさ好きなんだけれど、でもどこか何かが違う気がする。
そんなモヤモヤを一つずつ紐解いていきます。
女性が可愛いかどうか⇔隣りを俺が歩きたいかどうか
「結局見た目が可愛い女性がいいんでしょ!」
という最終結論。
これを「いやいやそんなことないよ結局は内面だよ」というのはちょっと都合よすぎるよね、というのは私も理解できます。
やっぱり見栄えがいい女性は男性は大好きですし、
男性に振り向いてもらうために自分磨きをするのも大いに良し。
一方で、女性が考える「可愛い女」は女性が主役なのに対し、
男性が考える「可愛い女」は男性視点である、
この観点が抜けている人も多いのかなとは思います。
どういうことかと言うと、
ただ女性の思う自己満足な可愛さを追求すればいいというわけではなく、
男性が「この女性を隣に連れて歩きたい」と思えるかどうか、ということです。
コンプラとかデリカシーとか抜きに表現すると、
隣に歩いている俺が格好良くなるような女
が男性の考える”いい女”なのかなと思います。
なので、”俺”より格好良い女だと”俺”の男らしさは消えてしまうし、
アホそうな女だと選んだ”俺”は格好良くない。
見た目良くてでも愛想も良くてクレバーなところもあって、でも俺のことが好きで自立もしている、そんな女を隣に連れている”俺”
これが、なんというか、男の”欲”と言う名の本音だと思ってください。
じゃあそういう女にならないといけないのかというとそういうわけではなくて、
結局この男性の本音ってあくまで”欲”の部分でしかないということです。
私たち女性も、自分のことをカマってくれるイケメンの男とあわよくば恋人になりたいという”欲”があるはずです。
あれと同じで、完全にそういう男性じゃないと結婚できないかというとそういうわけではないじゃないですか。
ただ、もしその”理想”に多少近づける範囲にいるのであれば、何もしてない男性より近づけるよう努力した男性のほうが魅力的に感じますよね。
なので、
「この子可愛いなー私もこんな子になったらモテるんだろうなー」
みたいに私が思う可愛い子を目指すのではなく、
「彼の隣りを彼女として自信を持って歩けるのはどんな子なんだろう。私が頑張って身につけれるものはあるのかな」
と、想い人の“隣に立てる女性”を思い描いて冷静に分析することが大事なのかなと思います。
男を立てるか弱さ⇔男の言いなりなのは魅力減
「気の強い女性はモテない、男を立てられるか弱い女性がモテる」
というのもよく聞く言葉です。
確かに、我が強くて自分の意見を押し通そうとする女性には、男性は異性として魅力を感じにくいでしょう。
しかし一方で、男に流されてなんでも言うことを聞く女性にだって、男性は魅力を感じません。
これは単純で、男性の言いなりになる行為は、
「私は価値の無い女です」
と自己紹介しているようなものだからです。
また、”気の強い女性はモテない”というのも語弊があって、
そもそも先ほど挙げたような相手の話を聞かずに自分の意見ばかり通そうとする人は、
男性女性問わず人として魅力が無い、
というただそれだけなのです。
この「自分の意見を持つ」ということと「気が強い」ということをごっちゃに考えている人も多いのかなと感じます。
男性からしたら、自分のことをリスペクトしつつ、
違う視点の意見を提供し、
ときに自分本位に動き振り回してくれる、
そんな存在に惹かれるのであって、
なんでもかんでも自分の言いなりになる女性に惹かれるわけではないし、
リスペクトも無くただ我を出してくる人に惹かれるわけでもありません。
媚びて自分が下手に出る⇔自分が上手だからおもてなしをする
さて、ここで男性特有の価値判断の一つに、
「格好いいか、ダサいか」
というのがあります。
男性は総じて格好いいものに惹かれがちで、
ダサいと感じることは嫌なのです。
さて、女性のモテテクニックみたいなやつに
サラダを取り分ける
というものがありましたが(今は昔の話のような気もする)、
あれは“媚び”の印象がついた影響でダサい行為になってしまったように感じます。
女性視点のモテテクでは、こういう行為は男性に対して”媚びへつらう”という印象を受けがちです。
一方で、元来そういうことをうまくやって男性に「おっ」と思わせる女性は、”媚び”でそういう行為をやってきたわけではありません。
何故ならそもそも“媚び”はダサくて男性は「おっ」とは思わないからです。
男性が女性に対して「おっ」と思うときは、
自分よりも上手な気遣いやおもてなしをしてみせたとき、
つまり「この女、格好いいな」と思うときなんです。
特に、一昔前は男性は外で仕事、女性は嫁修行という役割分担があったからこそ、
男性にはできないサラダのとりわけを女性が慣れた様子でしてみせることに
なおさら「格好いいな」と思わせることができたのかもしれません。
媚びて「さすがです~~~」と言ったりしてオジサマを良い気分にさせることと、
こちらが相手を気遣うことで「いい女だな」と思われることとは、
同じ相手を立てる振る舞いでも、本質的には異なります。
美容や化粧が完璧な人は綺麗⇔美容や化粧に興味は無い
男はナチュラル美人がいいとか言うけど、結局美容に金かけた女が正義なんだわ
という人もいますが、
これも合っている側面と極論過ぎる側面があると思います。
化粧や姿勢等、何一つ努力しない人よりもきちんと自分の見られ方を研究している人のほうが魅力的に映るのは当たり前のことです。
特に最近は男性も美容に力を入れるようになってきているので、ある程度女性の身だしなみへの気遣いは理解されやすくなっています。
一方で、男性は女性ほど見た目の“完璧さ”に重きを置いていないように思います。
化粧や美容に時間をかける女性ほど、時間や金をかけるほど自分の”美”が男性に良い作用をするに違いないと思っている傾向があります。
しかし、実際はある一定のレベルまで行けば、その先は話し方や姿勢や仕草等で判断されるため、細かい化粧や肌ツヤの違いなんて目が行かないんです。
今は大SNS時代なので、人の顔面を写真で判断されることが多いですが、
恋愛においては写真映りではなく対人コミュニケーションで最終的な行方が決まるわけで、
直接会った女性の顔やらなんやらを事細かにチェックするほどの繊細さを男性は持ち合わせていません。
外見はパッと見の印象、
その先は会話の内容や仕草等の雰囲気でいいなと思ったら次に進む、
そんなスピード感です。
もちろん、そのパッと見の印象を良くするために、姿勢、髪型、体型、化粧などをより自分に合うものにする、
ということ自体はとても大事なことです。
ただ、美容に心血と金を注ぐことと男性からの評価は、必ずしもイコールではありません。
だから男性も、自分からしたらよくわからない超細かいところまで気にして時間をかけようとする女性に対してついつい
俺はスッピンでもいいよ
なんて言ってしまうのです。
(そしてそれにカチンと来る女性と勃発するSNS戦争)
束縛しない⇔一人の時間も楽しめる
束縛する女性はよくない、
というのもよく聞きます。
ただ、「好きな人となるべく長い時間一緒にいたい」と思うのは恋愛をしていれば当然の心理状況だと思うので、
どこまでが束縛でどこまでが可愛いおねだりなのかの判別がつきづらいですよね。
ここについては、要は一人の時間も楽しめるかどうかなのかと思います。
女性は生物学的に集団で家を守ってきた歴史があるので、
より一緒に足並みをそろえることや一緒に時間を過ごすことに重きを置きがちです。
しかし、男性は生物学的に家を出て狩りに向かう性質があるので、
足並み合わせてやるより自分のやるべきことに向かって進んでいくほうが性質的に向いていたりします。
ただ、じゃあ男性らしく女性らしくに切り分けて行動するのがいいことかというと、もちろんそういうわけではないですよね。
男性は男性で女性を慮って価値観を合わせていく必要があるわけで。
それはつまり、女性も女性でなんでも”一緒”ではなく、それぞれがマイペースに、という考え方を身につけたほうがいい、ということでもあると思います。
今の時代は一人で過ごすのも容易い娯楽が多くあります。
一緒に楽しめるものは楽しんで、
楽しめないものは「じゃあ一旦一人の時間を作ろうか」とそれぞれ楽しむ、
二人で行きたいところには二人で行って、
一人のほうが楽しめるものは一人で楽しむ。
それが、”束縛しない”の正体なのかなと思います。
あざといは正義⇔あざとい女性はなんか面倒くさそう
今やモテの代名詞のように扱われる”あざとい”。
しかし、この“あざとい”という言葉を持ちあげているのは主に女性で、
男性はそこまでこの言葉に親しみを持っていないことにお気づきではないでしょうか(言葉自体は男が多いネットオタク時代に生まれたもののはずなんだが)。
何故なら、男性は基本的に”恋愛の駆け引き”みたいなのがそこまで好きではないからです。
もちろん、男性は女性の手の平で気持ちよく転がされることに悪い気はしない生き物です。
しかし一方で、真剣なお付き合いをしようと考えている女性に対してはよりリラックスした関係性を築きたいと思っているので、
そういう”恋愛テク”みたいな謎の流儀に則って女性の本心を見極める、ということにある種の面倒くささを感じるのです。
女性は”あざとさ”を武器のように考えていますが、
男性からしたら”あざとさ”は鎧です。
“あざとさ”で転がされてその防具の内側を見てやろうと男心に火がついているうちはいいですが、
結婚を意識したリラックスした関係性になりたいと考えているときは本心が見えづらく面倒くさいです。
そんなときに「(言葉にしなくても)それくらいわかってよ」とか言われると更に面倒くさいです。
よく恋の寿命は3年だなんて言われますが、これはドーパミンが分泌される期間だと言われています。ドーパミンは情熱、高揚感、ドキドキ等の類の幸福感で、ガッと気分が上がる代わりに超短期的です。
一方、幸せな結婚をしている夫婦間で分泌される幸福物質はオキシトシンと言われており、オキシトシンはリラックス、安らぎ、信頼感による幸福物質のため、一緒にいて安らげる家族といる限りは分泌され続けるそうです。
そのため、”あざとい”は最初の恋愛スイッチを押してドーパミンを分泌させる、という意味ではある種最強ですが、
それだけではオキシトシンを分泌しあえる関係性にはなれないし、
男性は結婚したい”いい女”だと判断はしないのです。
「結局こういう女が好き」に隠された真実と罠
ここまで、男性が本当に考える「いい女」ってこういう女だよ、ということを、
女性が考えがちな「男ウケする女」と対比して深掘りしていきました。
女性が考える「男ウケする女」はもちろん言葉のままそのとおり「男ウケする女」に違いは無いのですが、
結局それが男性が”最後に”選びたいとおもう「いい女」かというとそれは違うのかなと言うことです。
ただし、じゃあここに書いてあるような「いい女」にならないと結婚できないのかと言うとそういうわけではなくて、
要は自分がどこかに向かって頑張っているとして、
その頑張りが自分に苦しいだけのことになってしまっているのであれば辞めてもいいんじゃない?
という気づきになればいいのかなと思って今回は書きました。
自分の元からのポテンシャルに”男ウケする女”の特徴を持っているのならそれはそのままでいいじゃんってこと
たとえば、
見た目がアジアンビューティー路線の女性が、”男ウケ”だけを考えて無理やり可愛い系になろうと整形したり、
マイペースな人が気配り愛嬌女子に勝とうと無理にサラダを取り分けたり、
それが自分も楽しくてやってるならまだしも、
なんか苦しかったり自分の得意分野と正反対だったりするのであれば、
しかもそれを”男ウケ”のためにやっているのであれば、
それはベルトコンベアの上を逆向きに走っているようなものだよと言いたいわけです。
XなどのSNSを見ていると、
結局女性は愛嬌があって可愛らしくないと日本男子は相手にしないんだよ
美容にお金をかけないと男は振り向かない
などなど、”男ウケする女性”像みたいなのが共通認識として広まっているように感じます。
それを見て自分の長所を短所のように感じたり、
それをできない自分を価値が無い人間だと思ったりするのは、
全く幸せとは逆方向に行っていると私は思います。
“男ウケ”や”いい女”について取り入れれそうなところは取り入れつつ、
最終的には自分らしさを自分の”売り”にしたうえで、
自分の将来のパートナーから
でも○○のそんなところも好きなんだよなぁ
と言ってもらえるような女性になりましょう。
>>私たちを恋愛離れさせる”社会常識”から、幸せになれる思考法を模索する